のんびりしっかりキャリアとライフ

意識高くも低くもなく、お茶を飲みながらのんびりキャリアや将来のことを考えるブログです。

いい人になるのをやめてみる

何ていい人なんだろう!それに引き換え私はなんで…なんて反省してしまうくらいのいい人、いますよね。

一言で「いい人」と言っても千差万別だし、自分がいい人だと思った人を、友達に「なんか好きになれない」と言われたり、いい人バリエーションはかなり広いと思われます。

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出典:unsplush

当然、嫌な人よりいい人と思われたい。でもそれはなぜなのでしょう。

 

いい人と思われたい気持ちは、「相手から承認してもらうことで自分の存在価値を確かめたり高めたりしたい」という、根源的かつ強い自分視点の考え方なのではないでしょうか。

だからこそ、相手が気にいるように振る舞って本来の自分とは違う自分を演出することになってしまい、自分自身は何がしたいのか、どう振る舞いたいのかは二の次になってしまう。そのうち、本当の自分はどんな人なのかが分からなくなってしまうこともあるような気がします。

本当の自分というものが分かっている人はそういないのかもしれませんが、それはもっと哲学的な話になりそうなのでここでは置いておくとして。

 

私が「なんていい人なんだろう!」と感心したり憧れたりしているその人も、実は私の期待に応えようとして無理して振る舞っている可能性だってある訳です。

承認欲求の裏返しバージョン

以前の職場にいた、後輩を泣くまで詰問するのは当たり前、何人もメンタルクリニックに送ってしまった女性。彼女は極端な例ですが、少なくとも、本人は職場の周りの人からの承認欲求なんて1㎜もいらないと思っていたのは確かでした。

でも。彼女ともう一生会うことはないであろう今思い返すと、あれは非常に強い承認欲求の裏返しの行動だったんだろうな…と思うのです。彼女の心の中を分かる術はないけれど、彼女は周りの人にものすごく積極的に関わってくる人だったのです。関わり方は完全に間違っていたけれど。被害者の人々は「なんか突然舞台に上らされてスポットライト当てられる感じなんだよね…」と愚痴っていました。

誰も彼女を無視したり下に見たりはしていなかったけれど、彼女にとっては寂しさや怒りを感じる何らかの要素があったのでしょう。だから捕まえてきて舞台の上に上らせる。誰も満足することのないサイクルですね。

私はあまり大舞台には上らなかったですが、一度詰問されかけた時、聞き取れなかった(耳が悪いのです)のといいかげんうんざりしたのが相まって、「よく分からなかったからもう一度言ってくれる?」と強めに言ったことがありました。

その時の驚愕したような顔はよく覚えています。その時に私に対するシャッターがガラガラと下りたようで、その後はずっと無視されました。きっと、拒絶されたと傷ついてしまったのでしょう。今となっては、かわいそうなことをしてしまったと若干反省。

それらの経験を振り返ると、「相手からの承認が欲しいから気に入られるようにふるまう」のと、「相手からの承認が欲しいあまりに嫌がられるようなコミュニケーションをとる」のは、大げさに言えばほぼ同じモチベーションからきていると言えそうです。

何だかうまくいかなくなった恋愛みたいでもありますね。

誰にとってのいい人?

多分大切なのは「他人にとってのいい人になるのをやめる」ことで、「自分にとってのいい人になることを始める」ことなのでしょう。自分視点で、自分が心地よく毎日を過ごすための自分でいることが、結果的に他人から「あの人はいい人」と思われるならそれは結構なこと。

じゃあ自分に都合がよければ何をしてもいいの?となりそうですが、なりたい自分が自分のことしか考えない自分でよければ、そうなのでしょう。なりたい自分について考えたら、結果的に他人のことを思いやる自分になっていた、という人もいるはずです。このあたりは倫理観の問題になるのだと思います。

なかなか深い「いい人になる」こと。一つだけ、他人からの評価に身を任せすぎると苦しくなる、ということだけは確実なのかもしれません。

 

いい猫ときどき悪い猫

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