のんびりしっかりキャリアとライフ

意識高くも低くもなく、お茶を飲みながらのんびりキャリアや将来のことを考えるブログです。

極私的:好きな映画

マニアの域には程遠いですが、映画を観るのが好きです。今は映画館に行くのに躊躇する人もいると思いますが、ちゃんとルールが守られているのであれば問題ないだろうと思い、映画産業のためにも映画館で観るようにしています。

世界中に面白い映画が山ほどある中で、個人的に「すごく面白かった!」とずっと記憶しているのはこのような映画です。これらに共通した設定があることに、ボケている私は最近まで気づきませんでした…。

 

十二人の怒れる男(字幕版)

十二人の怒れる男(字幕版)

  • メディア: Prime Video
 

ニューヨークの裁判所。18歳の不良少年が実父殺害の容疑で裁かれようとしていた。12人の陪審員たちは評決の投票をするが、ただひとり陪審員8番だけが無罪を主張し、改めて審議が行なわれることに。それでなくても疲れきっていた11人は苛立つが、8番の説得によって次々と無罪に転じていく。はたして審議の行方は? レジナルド・ローズ脚本のテレビドラマを映画化。シドニー・ルメットがこの作品で映画初監督を飾った。(出典:映画.com)

 蒸し暑い日、一つの部屋の中だけで繰り広げられる感情のやり取り。正義について考えさせられます。

所謂ハリウッド映画にはあまり興味が持てないのですが、10代の時に観てから一番好きな映画です。

 

女神の見えざる手(字幕版)

女神の見えざる手(字幕版)

  • 発売日: 2018/04/03
  • メディア: Prime Video
 

恋におちたシェイクスピア」「マリーゴールド・ホテルで会いましょう」のジョン・マッデン監督が「ゼロ・ダーク・サーティ」のジェシカ・チャスティンを主演に迎え、天才的な戦略を駆使して政治を影で動かすロビイストの知られざる実態に迫った社会派サスペンス。大手ロビー会社の花形ロビイストとして活躍してきたエリザベス・スローンは、銃の所持を支持する仕事を断り、銃規制派の小さな会社に移籍する。卓越したアイデアと大胆な決断力で難局を乗り越え、勝利を目前にした矢先、彼女の赤裸々なプライベートが露呈してしまう。さらに、予想外の事件によって事態はますます悪化していく。共演に「キングスマン」のマーク・ストロング、「インターステラー」のジョン・リスゴー(出典:映画.com)

ワシントンにはロビー会社というものが沢山あるみたいですね。ヒロインは全く共感できない、汚い手も使う敏腕のロビイストですが、観終わった後には大好きになります(人によるのかも?)。

 

判決、ふたつの希望(字幕版)

判決、ふたつの希望(字幕版)

  • 発売日: 2019/02/27
  • メディア: Prime Video
 

キリスト教徒であるレバノン人男性とパレスチナ難民の男性との口論が裁判沙汰となり、やがて全国的な事件へと発展していく様子を描き、第90回アカデミー賞レバノン映画として初めて外国語映画賞にノミネートされたドラマ。主演のカエル・エル・バシャが第74回ベネチア国際映画祭で最優秀男優賞を受賞するなど、国際的に高い評価を獲得した。クエンティン・タランティーノ監督作品でアシスタントカメラマンなどを務めた経歴を持ち、これが長編4作目となるレバノン出身のジアド・ドゥエイリ監督が、自身の体験に基づいて描いた。(出典:映画.com)

人間は利己的な生き物だから、自分と違う考えを持った相手をたやすく非難したり攻撃したりしてしまう一方で、その相手を受け入れて理解するのは非常に難しい。

でも人間は利己的なだけではなく、相手の違いを認めて手をつなぐこともできるんだと温かい気持ちになれる映画です。

 

コリーニ事件(字幕版)

コリーニ事件(字幕版)

  • 発売日: 2020/11/09
  • メディア: Prime Video
 

ドイツの現役弁護士作家フェルディナント・フォン・シーラッハの世界的ベストセラー小説を映画化した社会派サスペンス。新米弁護士カスパー・ライネンは、ある殺人事件の国選弁護人を担当することに。それは、ドイツで30年以上にわたり模範的市民として働いてきた67歳のイタリア人コリーニが、ベルリンのホテルで経済界の大物実業家を殺害した事件で、被害者はライネンの少年時代の恩人だった。調査を続ける中で、ライネンは自身の過去やドイツ史上最大の司法スキャンダル、そして驚くべき真実と向き合うことになる。主人公ライネンを「ピエロがお前を嘲笑う」のエリアス・ムバレク、被告人コリーニを「続・荒野の用心棒」の名優フランコ・ネロが演じる。監督は「クラバート 闇の魔法学校」のマルコ・クロイツパイントナー。(出典:映画.com)

ここでストーリーの鍵を握る「ドレーアー法」というものを全く知りませんでした。昔と今が交錯しながら織りなされるドラマに圧倒されます。時間が空いたからとりあえず何か映画観よう…くらいの気持ちで観たのですが、すごい掘り出し物を見つけた感じでした。

 

ということで、これらに共通して出てくるのは法廷。全く意識していませんでしたが、私は法廷劇が好きだったんだ!とやっと気づきました。法廷劇というよりも、そこで繰り広げられる感情のやり取りや心理的な駆け引き、何が正義なのかを追求していくドラマが好きなのかもしれません。

 

私にとって映画は旅行と似ています。知らない場所で知らない人の生活や気持ち、事件などを体験することができるから。

今は気軽に旅行をすることが出来ない状況が続いていますが、映画で異世界を訪れてみるのも旅行に行けないストレス解消に役立つかもしれません。

老害

突然のタイトルですが、老害

特に政治家の失言や残念なふるまいを見ると、この単語が思い浮かぶことが多いと思います。ここまでの自分を形作ってきた価値観に固執するあまり、それが時代とずれてしまっていることに気付かずに、周りが眉をひそめるような発言や行動をしてしまう人達。特に地位の高いもしくは高かった人に多い印象があります。

あーあの人またあんな時代錯誤の発言しちゃって…と笑って済ませられればまだいいけれど、シャレでは済まないことも多々あるのも事実。

私も何人かの強烈な老害人達を見てきました。

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出典:unsplush

過去の成功体験から逃れられない

一番印象深いのは会社を倒産寸前から大成功に導いた立役者の男性。

自分の部下はコマとしか思っていないところがあったので周りの人達は複雑な思いを抱いていましたが、今まで業界には無かったビジネスモデルを導入して成功させるなど、ビジネスセンスは他の人には真似できないものがあり、ただ者じゃないカリスマオーラと相まって、私も含め皆喜んで引っ張られていました。

問題は彼の引退後。カリスマは後継者を育てるのが下手、とよく言われますが、やはり後継者はおらず、会社の業績はキレイに下降線を描いていきました。

外部から後任が入ってきたのですが、カリスマに追従するのに皆慣れきっていたのであまりうまくいかず、それでも後任の方のやり方で皆で協力し合って結果を出そう!と少しずーついい流れが生まれてきたか…?くらいの時に、カリスマがSNSのグループ内で、今の会社の惨状や後任の方のことをボロカスに言っているのが発覚しました。非公開とはいえ、現社員も沢山いる大きなグループ。結局は会社からクレームを入れて収まったそうですが、去り際はキッパリしていて格好良かったのに、その後が残念過ぎて、あぁこういう形の老害もあるのか…と悲しい気持ちになりました。

よくあるのは、明らかに引退した方がいいのに居座って新しい考え方を否定し、せっかくの自分の功績への評価を落としてしまうタイプの老害人ですよね。

それほどまでに所有欲や過去の栄光というものは強力、というか、逃れたくても逃れることができないくらいの磁力があるものだということなんだと思います。

かくいう自分だって、自分なりの過去の成功体験から逃げられていないかもしれません。

以前研修で、お互いの成功体験を語り合う、ということをしたのですが、自分の成功を語る気持ちよさにはちょっとびっくりしました。私のささやかな体験でさえこうなら、大成功した人がその体験に囚われてしまうのは当たり前なのかも。

でも同時に、他の人の成功体験については客観的に聴けて、あぁこれはこの人にとって素晴らしい体験なんだな、ちょっとピンとこないけど…みたいに、すごく冷静に見ている自分がいました。

成功体験があるのはもちろん素晴らしいし、過去からの学びだってある。でも未来を見ることを忘れてしまうと、すぐにその体験に囚われ、老害的な人になってしまう(老人でなくても)こともある。

意識的に自分をリセットしたり、過去の自分を他人の目線で見てみたり。過去の苦い経験に対して推奨されるそんな行動ですが、いい経験に対してもしてみる必要があるのかもしれません。

 

過去はきれいにリセットしてます

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気持ちにゆとりのある人

以前いた会社で、一時期マーケット拡大を目的としたユーザー像の把握のために頻繁に市場調査をしていたことがありました。市場調査には少人数を対象とした「定性調査」と数百人~数万人を対象とする「定量調査」があり、どちらも別個の目的があるのですが、興味深い発見がありました。

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出典:unsplush

女性向けの商品だったので、20代から60代までの女性にアンケートをとったりインタビューしたり、時にはお宅訪問をさせてもらってお家で話を聞いたりしたのですが、この2点がとても印象的でした。

みんな「気持ちにゆとりのある女性」になりたい

問われてみれば、確かに私もなりたい。「どんな女性になりたいですか?」的な質問で、10個も20個も選択肢があり、時により外見に関する選択肢が多かったりそうでなかったりと変化がある中で、この回答は常に1位か2位。特に30代以降に顕著でした。なりたいというからには今なれていないということだすると、やはり忙しくストレスの多い現代に生きているからこその思いなんだろうなとちょっと切なくなりました。

20代と40代以上は幸せそうだけど30代は不幸そう

こういった調査はアンケートモニターに登録している人を対象にするので、それなりのバイアスがかかるものだとは思いますが、グループインタビューで年代別に5~6人の女性達に集まってもらい、モデレーターの人からの質問に答える形式の定性調査にて(インタビューを依頼した側はそれを別室から見ています)、「えっまたこの感じ?」と既視感を覚えていたのが、楽しく生きていそうな20代と40代、そして対照的にやさぐれている30代。かなり多くの女性グループを見てきて、年代別に比較する形になっているから余計にこの傾向は目立ちました。もちろん生きるのが辛そうな40代とか、全てが順調で幸せそうな30代もいましたが、全体の傾向として。

20、30代を通り過ぎ、アラフィフになった自分からすると、やっぱり30代って公私共に色々なイベントがあったり、それに伴って色々な気持ちが生まれてくるお年頃だよねと思います。結婚するかもしれないし、子供が生まれるかもしれないし、そうでないかもしれないし。仕事で転機があるかもしれないし、ずっと同じかもしれないし。外見的にも老化が加速して抗えなくなるし。それをまだ経験していない20代は恐れを知らない幸せ感、40代は30代の諸々を経験した上で自分なりの対処法を身に付け、自分に自信を持つことが出来るようになった幸せ感だった気がします。

それが正しいとすると、きっとそれは年を重ねると「気持ちにゆとりのある人」に近づいたとも言えるのではないでしょうか。もちろん40代は40代としての辛いことやライフイベントがありますが、何とかできるメンタルの強さは手に入れかけているのではないか。そう思うと、歳をとるのも悪くないね!と安心させてもらっていました。

しかし、自分もアラフィフになって、昔よりは気持ちにゆとりが持てているような気はするものの、まだまだ。少なくとも、60歳くらいになって、10年前の自分より今の方が気持ちにゆとりが出たかなーと思えるようにはなりたいものです。

 

気持ちにゆとりありまくりのひと(ご飯欲しいときを除く)

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朝と夜のルーティン

朝の時間を有効に使うと、今日一日健やかで元気に頑張れる気がしますよね。

モーニングルーティンという言葉も広く知られるようになったし、私もできるだけ早く起きて自分のためだけの時間を持つようにしています。

 

hachiwarecatkun.hatenablog.com

 

しかし。いい感じで朝をスタートできると、その後精力的に活動できる→夜妙に疲れる、というパターンもあるもんだなと最近感じています。

 

過ぎたるは猶及ばざるが如し?

きっと年齢的なことや性格的なこともあると思いますが、最初は2~3つの習慣から始めたモーニングルーティンも、色々な情報に触れることで、あれもこれも取り入れたい!と思って実行、やらないといけないことに追われる結果になってしまったのかもしれません。

  • 勉強
  • メールやSNSの確認
  • ヨガやストレッチ
  • 栄養バランスのとれた朝食
  • 時々お弁当作り
  • 掃除
  • 洗濯
  • 散歩
  • 今日何をやるかのシミュレーション
  • 瞑想
  • 猫先生のお世話(&遊ぶ)

難なくこなせる人もいるとは思いますが、私にはてんこ盛り過ぎだったかもしれません。

朝は脳も活性化しているし、身体を動かすのも気持ちがいいからついやってしまうけど、一日の総気力量や脳活動可能範囲、みたいなものがあったとしたら、朝の内に半分以上を使ってしまっていたのかも。前はできていたかもしれないけど、今の私にはやりすぎみたいです。

なので、実行しようと思っているのは、

①絶対やりたい習慣だけやる

そして、

②いい感じで始めた一日をいい感じで終わらせる

ことです。

絶対やりたい習慣=気持ちと身体を健やかにしてくれる最低限の習慣としました。

歯磨きとかグルーミングのような習慣とゴールのある勉強時間の確保は別として、

ストレッチ、朝食、瞑想、キッチンの簡単片づけと猫先生のお世話

くらいに留め、まだ余裕があれば他の事もするようにしようと思います。

そして、一日をいい感じで終わらせるための夜の習慣。

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出典:unsplush
  • お風呂でつれづれなるままにぐるぐる考える
  • ストレッチと筋トレ
  • 「今日のいいこと日記」をつける
  • 寝る直前に一日が無事に終わったことに感謝する

浴槽でぐるぐる考えるのは習慣というより自然とそうなるという感じですが、仕事上でアイデアがどうしても出ないような時はこの時間にふといいアイデアが降りてきたり、問題の解決方法を思いついたりすることが多いです。同じようなお風呂体験をされている人も多いと思います。

集中的に負荷をかけたインプットを行ってから切り替えて思考を緩めるといいアウトプットが生まれるらしいですが、きっと同じ原理ですよね。

「いいこと日記」は、毎日日記をつけるのはストレスになりそうなので、いいことがあった時だけ簡単に書く日記です。ランチが美味しかったとか、タレントの◯◯さんに似てると言われたとか、他人から見たらどうでもいいことだったとしても自分の気持ちを明るくしてくれた何かがあったらそれを書き残します。

日記を振り返ったときに、いいことばかり書いてあるから気持ちが明るくなるし、この習慣のおかげていつもは忘れてしまうような小さな嬉しい出来事もより嬉しく受け止められるようになった気がします。

後は今日一日に感謝すること。笑顔で寝るようにしている友人がいますが、それもいい一日への感謝の仕方だと思います。

 

 時間だけは皆に平等。何となく過ごしてしまう一日があってもいいけど、それが幸せなことなんだと感謝して過ごせる方が素敵な人生かもしれません。

 

夜時間の一番の悩み:膝の上で寝られると動けなくなって、そのまま一緒に寝てしまう(猫飼いあるある?)

 

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忙しい?

突然ですが、勤めていた会社を退職することにしました。昨今のご多分に洩れず、売上低迷による希望退職の募集があったことがきっかけです。

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出典:unsplush

会社では、あるブランドを運営していました。知名度の高いブランドではないですが、関わっている人達みんなが商品やサービスに誇りを持っている、素敵なブランドです。それを見つけてもらえるように外向けの発信を整えてきて、ある程度種まきが出来たような気がしていた矢先の新型コロナ。

やはり売上は減少してしまいましたが、「品質が良くて長く付き合えるうちの商品はきっと今の価値観に合うはず!」という信念の元、みんな前向きに頑張っています。

なのに何で辞めることにしたのか。

会社の大人の事情、みたいなところもありますが、一番は、キャリアシフトのタイミングが来たと思ったからです。

詳しい内容は割愛しますが、ずっと進みたかった道に進んでみようと思っています。

この時期に辞めることにリスクがあることはもちろん承知ですが、5年後の自分は何をして、何を考えているだろうと思ったら、今行動を起こすべきだなと感じました。

ちょうど、昔の自分からのメールも来たし。

この記事に書いたFuture Meからのメールです。

 

hachiwarecatkun.hatenablog.com

 

で。今は有給休暇の消化中なのですが、会社に行ってないしコロナ禍で人にあまり会っていないのに妙に忙しい。

転職活動のための情報取得、勉強、家事労働、前からやりたかったのに出来ていなかった雑務…。

朝早く起きてスタートしてるのに、毎日、何でこんなにあっという間に一日が終わるんだ?と思いながら眠りについています。

 

そんなある日ふと気づいたのは、私はまさに心を無くしていたんじゃないか?ということ。

「やらないといけないことを次々とこなす」ことだけに気を取られて、今目の前にあることそのものとしっかり向き合う余裕を自分から捨てていました。かける時間は同じかもしれませんが、多分心持ちは全く違う。

マインドフルネスって時間に余裕がないと出来ない、ある種贅沢な行為だと思っていましたが、時間の無いときにこそ実践しないといけないんだなとやっと実感できました。遅いですね…。

 

これからの私のキャリアはどうなっていくのか未知数だし、課題は色々やってくるだろうけど、先のことを今考えて心配しても仕方ない、それより今ここにいることに全力を傾け、もし何かあったら全てを楽しもうという精神でいきたいと思います。

 

寝るのに忙しい

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書くことの力

2021年が始まりました。

家以外では常時マスクの生活が昔のことになる日はいつ来るのでしょう。

 

10年以上前のことですが、会社にいたイギリス人同僚が咳をしていたのを見て、健康に人一倍敏感な先輩が「うつすといけないからマスクして!」と厳命。同僚はマスクなんて着けたことがなかったので抵抗していましたが、先輩の圧力に負けて着用させられていました。その時の「何で私がこんな格好悪い姿にならないといけないんだ…」という憮然とした様子はかなり面白かったのですが、そんな欧米の人々でも、人によってポリシーの問題はありながらもマスク姿=格好悪いから嫌という意識は超越したようです。

 

閑話休題

やはり一年の始まりの切りのいい時期に、今年はこれをやるぞ!と抱負やゴールを決める人は多いですよね。その時には、デジタル生活に慣れていたとしても、あえてペンや筆を使って書面で残すという人も多いと思います。「書く」という行為には、特別に改まった感覚があるということなのでしょうか。

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出典:unsplush

一人カウンセリング?

私は「なんだか分からないけどなぜかモヤモヤする」時にはノートを開いて書く行為を開始します。もう書き終わろうかな、と思う頃にはかなり気持ちが整理されて、解決法までは至らないかもしれないけど、必ず、かなり落ち着くことができます。

まず、モヤった気持ちをそのまま書くところからスタート。

どうしてそう思うのか?と自分に問いかけながら思ったことをそのまま全部書いていく。誰も見ないので他の人に知られたくない嫌な感情も書けばいいし、もちろん論理的な一貫性がなくてもよい。手は疲れるけど。

ずっと自分に問いかけながら書き続けていると、知らない内に、モヤりの奥の本当の気持ち、みたいなものが見えてきます。

 

以前、海外出張に行く人に対して妙に心がザワついた時期がありました。どうにも嫌な感情なのでノートを開いてつれづれなる気持ちを書いてみました。「英語も話せないのにあの人が行ってどんな成果を上げられるのか?経費削減と言われてるのに」という余計なお世話の感情からスタート。

なぜそう思うのか?と考えたら、結局、対象の人達に会社が成長の機会を与えていることについての妬み、そして自分にはそれが与えられていないことの焦りだったことに気づかされました。

だったら自分で成長すればいいんだと気づいて、仕事以外の時間に自己学習の時間をとるようになって気持ちが安定し、その後は心のザワつきから解放されました。あんなにザワついてたのに、不思議…。

思うに、書くことで、ノートの上に自分の気持ちを自由に解放するのがカタルシスに繋がるのかもしれません。

だから、書かなくても、絵やタイピングの方が得意な人ならそれでもいいのかもしれない。

つれづれなるままに書いていると、最初に書いたことと途中で書いた別のことが関連していることに気づいたりして、だんだん図のようになってきたり、文字にも大小つけたくなってくることが多いので、私にはペンで書くことが合っているみたいです。

そしてそれをとっておいて、次のジレンマを経験した時に取り出してみたりする。

結構、「私って5年毎に同じようなことを考えてたんだな…」とか、「昔の私、結構ちゃんと考えてて偉い」とか思えたりして、昔の自分に励まされるという楽しさもあります。

今の自分と昔の自分が出会うことで、自己肯定感を高めているのかもしれません。

 

書くと混乱した気持ちが文章に乗り移ってくれて、自分の心がすっきりした感じにもなる。書いて気持ちを整理するという行為は、一人でできるとってもお手軽なカウンセリングなのかもしれません。

 

書けません

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風の時代

2020年もあと1日で終わりの今。

後年に語り継がれるであろう、パンデミックという大きな出来事を経て、私達の生活や意識はどう変化するのでしょうか。シンクタンクとか経済学や社会学の先生方が色々な意見を述べてくださっていますが、大体のところで、「既存の考え方に囚われない、新しい生き方の模索」というキーワードが語られているように思います。

前日まで知らなかったのですが、2020年12月22日は占星術における「数百年続いた土の時代の終わりと今後200年続く風の時代の始まり」という一大転換点だったそうですね。

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出典:unsplush

自分軸の時代

物質主義の時代から、情報や想像力などの形を持たないものの重要性が高まっていく時代。

それぞれの人が我慢をせずに好きなことややりたいことを優先して、風のように軽やかに生きる時代の到来のようです。

あまり占いは信じないタチなのですが、その話を聞いてとても納得感がありました。世界で起こっている出来事や自分の周りで起こっている出来事を振り返ると、旧来の価値観に対して「もういいかげんにして?」と、皆が静かに三行半を突き付けているような気がしていたから。

今まで当たり前に受け入れていたことを疑い、必要ないと思った価値観や情報は思い入れがあったとしても捨てていくことが大切になる時代なのかもしれません。

 

これだけ聞くと、今までよりもいい時代が到来するような気がするのですが、それぞれの人の心持ちによってはいい時代にも悪い時代にもなる気がします。

まず、自分の道は自分で切り拓いていかないといけない。仕事で言えば、終身雇用制の崩壊は昔から言われてきたことですが、突然失職してもすぐ次の仕事は見つかるから大丈夫、と言える人はそう多くないと思います。政府は企業に対して従業員の「エンプロイアビリティ」を高めるような施策をとるように打診しているようですが、日本でのそれは「他の企業でも通用するような能力を高める」よりも「所属している企業で雇用され続ける能力を高める」ことが重視されているようで、下手をすると、他の企業では必要のない、ガラパゴス化した能力だけが高まってしまう恐れだってある訳です。

とはいえ、他の企業に転職しても通用するような能力を高めてあげようという懐の深い企業はそうないとも思うので、自分のエンプロイアビリティは自分で高めるしかないのが現実。ぼんやりしている内に周りの人がどんどん先を行っていたということもあり得ます。

また、自分の好きなことややりたいことをして生きていく状態というのも善し悪しなのではないでしょうか。好きなこと=仕事にするということは、好きなことに付随して付いてくる面倒だったり辛かったりすることも引き取るということのはず。それを自覚しておかないと「好きなことは仕事にするもんじゃない、趣味に留めておくべき」と愚痴ることになるので、そのあたりも腹をくくる必要があるのでしょう。

物質主義でなく目に見えないものにより価値を置くというのも、いいことに聞こえますが、モノという分かりやすい成果物が見えないだけに、ゴールがどこなのか分からなくなってしまうこともあり得ます。自分にとって価値を感じることの判断基準は何なのかを持っていないと、上辺だけの情報に騙されてしまうことだってある。

より世界が精神的な方向に向かっているのであれば、カルト宗教のような偏った考え方が多くの人の支持を得るようなこともあるかもしれません。

 

でも、それを考慮に入れたとしても、個人的にはこれからの時代を楽しみに思っています。

リスクを引き受ける必要はあるけれど、自分次第で生きたいように生きることの出来る可能性が広がっていると思うから。

何がやりたいかまだ見えていなかったとしても、何がやりたくないかは分かっている人が多いと思います。そこからスタートしたって無問題。

私は、人が人生の目的を見つけることのお手伝いが出来る仕事(ボランティアかもしれませんが)をいつかしたいと思っています。

自分が何を大切にしていきたいか、自分軸を意識して、そこから来る内面の声やインスピレーションに従って生きることが可能になる時代、と言えるのかもしれません。

 

自分軸ありありのひと 

 

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