のんびりしっかりキャリアとライフ

意識高くも低くもなく、お茶を飲みながらのんびりキャリアや将来のことを考えるブログです。

書くことの力

2021年が始まりました。

家以外では常時マスクの生活が昔のことになる日はいつ来るのでしょう。

 

10年以上前のことですが、会社にいたイギリス人同僚が咳をしていたのを見て、健康に人一倍敏感な先輩が「うつすといけないからマスクして!」と厳命。同僚はマスクなんて着けたことがなかったので抵抗していましたが、先輩の圧力に負けて着用させられていました。その時の「何で私がこんな格好悪い姿にならないといけないんだ…」という憮然とした様子はかなり面白かったのですが、そんな欧米の人々でも、人によってポリシーの問題はありながらもマスク姿=格好悪いから嫌という意識は超越したようです。

 

閑話休題

やはり一年の始まりの切りのいい時期に、今年はこれをやるぞ!と抱負やゴールを決める人は多いですよね。その時には、デジタル生活に慣れていたとしても、あえてペンや筆を使って書面で残すという人も多いと思います。「書く」という行為には、特別に改まった感覚があるということなのでしょうか。

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出典:unsplush

一人カウンセリング?

私は「なんだか分からないけどなぜかモヤモヤする」時にはノートを開いて書く行為を開始します。もう書き終わろうかな、と思う頃にはかなり気持ちが整理されて、解決法までは至らないかもしれないけど、必ず、かなり落ち着くことができます。

まず、モヤった気持ちをそのまま書くところからスタート。

どうしてそう思うのか?と自分に問いかけながら思ったことをそのまま全部書いていく。誰も見ないので他の人に知られたくない嫌な感情も書けばいいし、もちろん論理的な一貫性がなくてもよい。手は疲れるけど。

ずっと自分に問いかけながら書き続けていると、知らない内に、モヤりの奥の本当の気持ち、みたいなものが見えてきます。

 

以前、海外出張に行く人に対して妙に心がザワついた時期がありました。どうにも嫌な感情なのでノートを開いてつれづれなる気持ちを書いてみました。「英語も話せないのにあの人が行ってどんな成果を上げられるのか?経費削減と言われてるのに」という余計なお世話の感情からスタート。

なぜそう思うのか?と考えたら、結局、対象の人達に会社が成長の機会を与えていることについての妬み、そして自分にはそれが与えられていないことの焦りだったことに気づかされました。

だったら自分で成長すればいいんだと気づいて、仕事以外の時間に自己学習の時間をとるようになって気持ちが安定し、その後は心のザワつきから解放されました。あんなにザワついてたのに、不思議…。

思うに、書くことで、ノートの上に自分の気持ちを自由に解放するのがカタルシスに繋がるのかもしれません。

だから、書かなくても、絵やタイピングの方が得意な人ならそれでもいいのかもしれない。

つれづれなるままに書いていると、最初に書いたことと途中で書いた別のことが関連していることに気づいたりして、だんだん図のようになってきたり、文字にも大小つけたくなってくることが多いので、私にはペンで書くことが合っているみたいです。

そしてそれをとっておいて、次のジレンマを経験した時に取り出してみたりする。

結構、「私って5年毎に同じようなことを考えてたんだな…」とか、「昔の私、結構ちゃんと考えてて偉い」とか思えたりして、昔の自分に励まされるという楽しさもあります。

今の自分と昔の自分が出会うことで、自己肯定感を高めているのかもしれません。

 

書くと混乱した気持ちが文章に乗り移ってくれて、自分の心がすっきりした感じにもなる。書いて気持ちを整理するという行為は、一人でできるとってもお手軽なカウンセリングなのかもしれません。

 

書けません

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