いい人になるのをやめてみる
何ていい人なんだろう!それに引き換え私はなんで…なんて反省してしまうくらいのいい人、いますよね。
一言で「いい人」と言っても千差万別だし、自分がいい人だと思った人を、友達に「なんか好きになれない」と言われたり、いい人バリエーションはかなり広いと思われます。
当然、嫌な人よりいい人と思われたい。でもそれはなぜなのでしょう。
いい人と思われたい気持ちは、「相手から承認してもらうことで自分の存在価値を確かめたり高めたりしたい」という、根源的かつ強い自分視点の考え方なのではないでしょうか。
だからこそ、相手が気にいるように振る舞って本来の自分とは違う自分を演出することになってしまい、自分自身は何がしたいのか、どう振る舞いたいのかは二の次になってしまう。そのうち、本当の自分はどんな人なのかが分からなくなってしまうこともあるような気がします。
本当の自分というものが分かっている人はそういないのかもしれませんが、それはもっと哲学的な話になりそうなのでここでは置いておくとして。
私が「なんていい人なんだろう!」と感心したり憧れたりしているその人も、実は私の期待に応えようとして無理して振る舞っている可能性だってある訳です。
承認欲求の裏返しバージョン
以前の職場にいた、後輩を泣くまで詰問するのは当たり前、何人もメンタルクリニックに送ってしまった女性。彼女は極端な例ですが、少なくとも、本人は職場の周りの人からの承認欲求なんて1㎜もいらないと思っていたのは確かでした。
でも。彼女ともう一生会うことはないであろう今思い返すと、あれは非常に強い承認欲求の裏返しの行動だったんだろうな…と思うのです。彼女の心の中を分かる術はないけれど、彼女は周りの人にものすごく積極的に関わってくる人だったのです。関わり方は完全に間違っていたけれど。被害者の人々は「なんか突然舞台に上らされてスポットライト当てられる感じなんだよね…」と愚痴っていました。
誰も彼女を無視したり下に見たりはしていなかったけれど、彼女にとっては寂しさや怒りを感じる何らかの要素があったのでしょう。だから捕まえてきて舞台の上に上らせる。誰も満足することのないサイクルですね。
私はあまり大舞台には上らなかったですが、一度詰問されかけた時、聞き取れなかった(耳が悪いのです)のといいかげんうんざりしたのが相まって、「よく分からなかったからもう一度言ってくれる?」と強めに言ったことがありました。
その時の驚愕したような顔はよく覚えています。その時に私に対するシャッターがガラガラと下りたようで、その後はずっと無視されました。きっと、拒絶されたと傷ついてしまったのでしょう。今となっては、かわいそうなことをしてしまったと若干反省。
それらの経験を振り返ると、「相手からの承認が欲しいから気に入られるようにふるまう」のと、「相手からの承認が欲しいあまりに嫌がられるようなコミュニケーションをとる」のは、大げさに言えばほぼ同じモチベーションからきていると言えそうです。
何だかうまくいかなくなった恋愛みたいでもありますね。
誰にとってのいい人?
多分大切なのは「他人にとってのいい人になるのをやめる」ことで、「自分にとってのいい人になることを始める」ことなのでしょう。自分視点で、自分が心地よく毎日を過ごすための自分でいることが、結果的に他人から「あの人はいい人」と思われるならそれは結構なこと。
じゃあ自分に都合がよければ何をしてもいいの?となりそうですが、なりたい自分が自分のことしか考えない自分でよければ、そうなのでしょう。なりたい自分について考えたら、結果的に他人のことを思いやる自分になっていた、という人もいるはずです。このあたりは倫理観の問題になるのだと思います。
なかなか深い「いい人になる」こと。一つだけ、他人からの評価に身を任せすぎると苦しくなる、ということだけは確実なのかもしれません。
いい猫ときどき悪い猫
ジェンダーギャップ
SGDsという言葉の認知率は、この1年ほどで大きく上がったのではないでしょうか。
「持続可能な開発目標」(Sustainable Development Goals)というこの言葉は、地球上の誰一人取り残さないことを誓って制定された17の目標とそこから派生した169のターゲット。各国の達成率が数値で報告されるそうです。
日本は2020年で166か国中17位。取り組みが順調に進んでいる項目もあれば、かなり悪い状況が続いている項目もあります。
よく報道されているのが、ジェンダー平等についての達成進捗が悪いこと。
無意識でやってしまった失敗
1990年代。
新卒3人(女性2名、男性1名)で早く来て机拭きをする仕事がありました。1人で15分あれば済むくらいだったのでローテーションを組んで回していたら、ある日「女が2人もいるのに何やってるんだ」と言われたことがあります。今だったら息を呑む発言ですね。
取引先の男性バイヤーに「次はスカート履いてきてね」と言われたり。
30代になると、おばさん扱いが始まりました。若い女性はこうなんでしょ?あ、もう若くないかというノリツッコミみたいな台詞は何十回言われたか。数年後には完全に若い女性枠から外れた人としてその台詞は言われなくなるのですが。その代わり、意見を言うと怖いおばさんというレッテルが貼られました。同じポジションで同じ発言をしても男性は怖いおじさんではないのに。
こんな経緯を経て、当時の働く女性達の中には何かが刷り込まれ、諦めて受け入れるか怒って本当に怖い人になるかのどちらかになっていく人が多いような気がしました。でもそれも多分7〜8年前までの話。
今はそこまでのことはないはずです。まだガラスの天井はあるけど、防弾ガラスみたいだった昔と比べるとかなり薄くなったし、社会の目が厳しくなり、会社の中でセクハラ講習が行われるため、不用意な発言には皆注意している。
育休や時短勤務を強いられるのは圧倒的に女性という現実もあるし、全く平等になってはいないけど、日本も変わってはきている。ただ、そのスピードがゆっくり過ぎて他の国に遅れを取り過ぎているからジェンダーギャップ指数があんなことになるのでしょう。
とはいえ、ジェンダーギャップが大きいだけに、「男性らしさを強いられることが辛い」という場面もよくあるということも、もっと周知された方がいいように思います。
今だに時々思い出す、私が20代の時に後輩男性にしてしまったセクハラ発言。
当時「ユーザーが欲しいものを、直接意見をきいて商品化する」というのが流行っていて、他業界でいくつもヒット商品が出ていました。
こういう取り組みをしたことのある方は経験があると思いますが、ただ欲しいと言われたものを作っただけだとまず売れません。意見を聞く前にちゃんと企業側でストーリーを組み立てておかないと、誰の想いもこもっていない中途半端な製品が出来上がってしまうのです。
今ならそれが分かりますが、当時戦略立案など考えられなかった私は、「60代以上の女性が欲しい製品を作るために7人の60代女性に話を聞きに行く」というタスクを受け、営業担当者と2人で話を聞いてきました。モデレーター無し。
で、年配の人のニーズは若い私には分からないから教えてくださーいみたいなスタンスだった私は皆さまにこてんぱんに叱咤されて帰ってくることになったのです。
会社に戻った時、後輩男性(イケメン)から、大変な目に会いましたね!と爽やかに言われイラッとした私は、「ほんとだよ、おばさん相手だから◯◯君が行けばよかったんだよ!」と言ってしまいました。
その場で何も感じなかったのですが、その日の夜、唐突に、もしこれが男女逆だったらすごいセクハラ発言では…?とやっと思い至ったのです。
20年以上前はセクハラの概念はあっても社会は今より鈍感でした。でも、自分が無意識のセクハラ発言をしてしまったという軽いショックは今でも覚えています。
翌日謝ったら、◯◯君は「気にしないで下さい」と言ってくれました。でも、嫌な気持ちになっていたらしいことは伝わってきました。
ジェンダー平等に必要な視点は
女性はこうであるべき、という固定観念に基づいた発言はしてはいけないということは広く理解されていますが、同様に男性はこうでないといけない、このくらい言われても男は気にするな、という枠の中にはめることもしてはいけないのですよね。枠にはめられて苦しんでいる男性も少なからずいて、しかもその苦しみが理解してもらえないことはかなり多いのではないでしょうか。
男は弱みを見せるべきではない。辛い時は男だから頑張って乗り越えないといけない。共働きでも男性の方が稼がないといけない。
そんな固定観念をすぐに無くすことは難しいとしても、「そういう考え方は一面的ですよ」と周知させる取り組みをしてもいいように思います。それが当の男性達を楽にするだけでなく、女性も楽にすることにもつながるのではないでしょうか。セクハラ講習の内容はどうしても男性→女性だけと受けとられて終わってしまいがちなので、女性→男性、男性→男性、女性→女性、という視点もしっかり盛り込むのがよりよい姿のような気がします。本当はジェンダーの定義は男女だけに留まらないのだとは思いますが。
日本が遅れまくっているジェンダーギャップの差をもっと早いペースで埋めるためには、女性だけでなく、全てのジェンダーに関する固定観念を同時に緩めることが必要なのではないかと思うのです。
男子は右がさくら耳
イエスマン戦術
会社の偉い人で、部下達にものすごく嫌われている人がいます。
スタイルの違い?
偉い人は私より年下かつトップに気に入られてスムーズに会社を運営していけることが自分の一番の役割と思っているタイプ(簡単に言うとイエスマン)で非常に分かりやすい。自分が承認したプランを部下が社長にプレゼンする際、社長が少しでも否定的なコメントをすると「ですよねー私もそう思ってました。出直します」とすぐ引っ込めます。
この行為について、部下達は「プラン作成の時間を返して欲しい」「直接社長にプレゼンした方が早い」「手のひら返しなんて最低」と常に怒っています。
本当にその通りです。でも、なぜか私はその人のことをそれほど嫌いではないのです。
突然ですが、犬がお腹を見せるのは服従の印。お腹を見せられると相手の犬はそれ以上攻撃してきません。自分より強い相手に歯向かっても自分へのダメージが大きいことが明らかなので、合理的な選択としてそうしているというのはよく知られた話ですよね。それと同じことが組織やそれを運営している人にも言えるのではないかと思うのです。
私は自分が正しいと思ったものは正攻法で通したくなるタイプ。プレゼンする時も反論の余地がないように武装していきます。それでも「頭では理解するけど言いくるめられるのは何となく嫌だ」のようなふんわりとした感覚で却下されることがあります。というかその方が多いかもしれません。
私が玉砕するのを同じ場所にいる部下達は見ているので、彼ら彼女らは自分の意見を一貫して曲げない私に対して好印象を抱いてくれます。なので、私は今まであまり自分のチームメンバーとの関係で困ったことはありません。
しかし。却下されたからには再提案をする必要があり、また時間をかけて練り直さないといけません。しかも一度却下された以上、再提案のハードルはかなり高くなり、その分自分にもチームにも負担がかかります。それが本当にチームや組織のためになるのか。自分の信念を貫くという人として正しい姿を学ぶためには正しい行為であることは間違いないと思います。だけど、イエスマンのその人は、提案内容をしっかり記憶される前にすぐ引っ込めるだけに、再提案のハードルはかなり低いように見えるのです。どこで引っかかったかは分かっているのでそこだけ言い方を変えて、内容自体は前とほぼ同じだったりするのに何となく「やりたいならやってもいい」みたいな評価をもらえてしまう。それはお腹を見せる犬とかなり似た、組織としての合理的な行動なのではないかと思うのです。
やり方としては格好よくないし、上ばかり気にする人間を創り出してしまうので社員のモチベーションややりがいは薄くなってしまうため、100%賛成はしませんが、組織運営の戦術の一つなんだなと思うことはできます。だから彼のことは嫌いではない。
ただ、彼は部下達の気持ちを理解していません。プランを作った人がどんな思いを込めているか、どれだけ社長にこのプランを認めて欲しいか、という視点が足りないからこそできる行為かもしれません。だから彼は部下達にも信用されず、嫌われてしまうことになる。組織運営のためにはそれでいいんだと言うのかもしれませんが、上の人を冷めた目で見る部下達だらけの組織が正しい方向に運営されていくようには思えません。
組織の中でのふるまいは人それぞれ。自分と全く違うスタイルの上司にあたってしまうと辛いとは思いますが、「この人は何でこんなやり方をするのか?」と憤ることがあったら、「この人の戦術は自分とは全然違うんだな」とちょっと距離を置いた目で見るのが、いいのかもしれません。
猫の視点
よく見せたい・目立ちたくない
それほど自意識過剰でなかったとしても、自分をよく見せるためにちょっと「盛った」発言や行動をしてしまうこと、よくあるのではないでしょうか。
私も過去を振り返ると恥ずかしい発言を多々してきました。いわゆる「知ったかぶり」的な。
マニア向けっぽい映画が好きなのでおすすめ映画を教えてあげた気になっていたら、相手の方が100倍詳しかったとか、最新のトレンド情報を披露した気になっていたらブランド名を間違えていたとか、思い出したくない事例が山ほどあります。
さすがに若い時と比べたら頻度は減ったとは思うのですが、なぜ同じような恥ずかしさを度々味わってしまうのか…。
やはりそれは承認欲求の裏返しなのだと思います。自分を知的だったりおしゃれな人として見てもらえる=他人を通して自分の存在価値を高められる、という意識から出てきてしまうふるまいなのではないでしょうか。本当にその道に精通した人なら逆に他人に向けたそんなアピールはする必要がなくなるはず。
今の私にできることは、それっぽい発言をしそうになったら「私ったら、知ったかぶろうとしているのでは?」と問いかけてみることくらいですが。
そして行動としては逆ですが、同じ承認欲求から生じているような気もする「目立って変な人と思われたくない」という気持ち。こちらの方が根が深いかもしれません。
今ここで発言したら目立っちゃうから、聞きたいことがあるけど黙っておいて後でこっそり聞いてみよう…とか、生意気だと思われてしまったらやりづらそうだから言いたいけど言わないでおこうとか。
日本人は調和を特に重んじる、話さずとも空気を読んで理解することができる民族だというところが多分に影響していると思いますが、グローバル化した世の中ではそのやり方が理解されないことも多いし、会合で何も発言しない=その会合に出る意味の無い人と判断される傾向もあるので、思ったことは口に出した方がいいのだと思います。
とはいえ、勇気がいる。口火を切る場合は特に。
でもたまに、日本人でも物おじせずに発言できるタイプの人がいますよね。何を発言するかによると思いますが、シーンとなっている場で話し始めるという行動について眉を顰めるような人はいないはずです。どちらかというと頼もしく思ったりして。
発言が間違っていたら皆の前で恥をかくから嫌だ、という気持ちも根強いと思います。もし間違っていたとして、その場で訂正されたとしても恥ずかしがる必要はありません。自分以外の誰もそんなことは3秒後に忘れてしまうから。人は他人のことをそこまで気にしていません。
私がそれに気づいたのは30代を過ぎてから。やはり若い時は自意識過剰気味の傾向は避けられないかもしれません。
気付いた後は、自分を鍛えるためにも色々な場で発言するようにしています。やはり物おじしてしまうような場面も多々ありますが。
・「すみません、よく理解できていないかもしれないので質問なのですが、◯◯ということでよろしいでしょうか?」
・「◯◯という言葉を使われていましたが、この言葉の定義は△△と同じと思っても正しいでしょうか?」
など、YESかNOでこたえられるクローズド・クエスチョン方式だと恥ずかしさも減り、質問しやすくなる気がします。回答してくれる人は大抵YES、NOの後に説明をつけて返してくれるので、知りたいことについての答えもちゃんともらえるはず。
今はその機会は無いですが、色々な国の人が参加する会議に出ると、バリエーションにとんだ発言をきくことが出来て面白かったです。お国柄なのか人柄なのか、ネイティブの人さえ聞き取れない英語だけど何度も質問してくる人とか、結構ブラックなジョークを挟んでくる人とか、怒ってます?と聞きたくなるくらい攻撃的なしゃべり方の人とか(怒ってはいなかったそうです)。どう見ても自分のことしか考えておらず、周りの人にどう思われるかな…とは1mmも思っていなかったと思います。私には清々しく感じられましたが、国際基準では普通なのかもしれません。
発言する必要のない位意味のない会議なら別ですが、少しでも知りたいことや確認したいことがあったら、「周りの人の目を気にしない訓練」の一環として手を挙げて発言することにチャレンジしてみてもいいのではないでしょうか。
例え的外れな発言だったとしても、3秒後には自分以外は皆忘れているから、得るものはあっても失うものはありません。
毛布と同化してるから目立ってません
転職について
主に会社員として働いている場合。ある程度の経験を重ねた人で、転職することを考えたことのない人はあまりいないのではないでしょうか。実際にするかどうかはまた別の話として。
私は外資系の会社に長くいたので転職はよくあることだと思っています。最も「いわゆる外資」っぽいのは、ファイナンスとかマーケティングとか、ある職種のエキスパートとして入社してきて、1〜2年したら別の会社に移っていく働き方。外資系エグゼクティブ専門のヘッドハンター経由で転職を重ね、転職の度に年収アップしていきます。あの人うちの会社で何の成果出したんだっけ?と思うような場合でも、高いプレゼン力で自分を高く売り込める。日本人には多くないだろうし、自分がそういう働き方をしたいとは思いませんが、非常に逞しく、見ていて勉強になるところもたくさんあります。人によってはプロとしての知識を伝授してくれたし。でも会社やブランドへの愛情、みたいなものはほぼ無く、日本でもそうなっていくと言われているジョブ型雇用を極めるとこうなるんだろうなーとイメージさせてくれる人達です。
でも大抵の人にとっては転職は一大事。私も2回ほどしましたが(ほど、というのは一度出戻っているから。転職回数は3回です)、あの不安感や期待感、新しい職場に馴染むまでの焦りやモヤモヤ感、そしてホームシックに似た、前の会社の方がよかったかも…という気持ち。決意して転職した人ほど、仕事をすること、し続けることが自分にとっていかに大切か思い知る機会です。
一言で「転職する」と言っても動機や状況は人によって全く違う。もちろん、転職せずに働き続けることを選ぶのも間違っていません。
でも、これからの日本の社会のことを考えると、中長期的なキャリアプランだけは持っておいた方がいいとだけは思います。
キャリアプランをどう立てるべきかは別途にしますが、きっちりプランを立てても、人生必ず思いもよらない出来事が起こる。プラン通りにいく可能性は少ないですが、プランはどうだったっけと振り返ることが出来るのはブレないために必要です。今の状況とプランを比較して、プランを軌道修正すればいいのです。
では転職したいなと思ったらどう考えるかについて。私はこう思っています。
なぜそう思うか突き詰めて考えてから行動する
今の状況と自分の期待に何かしらのアンマッチがあるから転職したくなるのだと思いますが、それが何なのか。
◆人間関係?
今も昔も職場の悩みのNo.1は人間関係という調査結果があります。もしそれだけが理由だとすると、すぐに転職するのはちょっと待った方がいいかもしれません。なぜなら、会社組織の場合はあなたを悩ませている人がいなくなる可能性があるから。横暴な上司が嫌で転職したら、数か月後にその上司が異動や退職でいなくなり、焦って転職しなければよかった…というケースを過去に何回か見たことがあります。もちろん、パワハラなど客観的にみて逃げた方がいい場合もあるので一概には言えないですが、もし完全なパワハラならば会社のホットラインや労働基準監督署の窓口などに相談するのが先になります。
◆給料?
給料が安いから、というのも転職検討の理由の上位に来ると思います。20代のころの私もそうでした。若い時は自分が60代になるまで働き続けるということが地獄のように思えたので、出来るだけ早くリタイアしたい、となると沢山稼がないと…と焦っていました。でも仕事の楽しさを知り、辛いこともやりがいになるんだと分かってからは稼ぐことに重きを置かなくなってきたのですが、そうすると不思議なことに給料が大きく増える(自分比較で)道が拓けてきたのです。
今与えられたことでベストを尽くし、ある程度の結果を出せたことで、自分の中で自信が生まれ、さあ次のタスクに取り掛かろう!と意気込みかけたタイミングで興味の持てるかつ給料もアップする転職話が飛び込んできた、みたいな感じです。
◆やりがい?
20代のうちにどうにか年収1000万稼ぐようになりたいと転職していった同期がいました。彼は有言実行し、今ではかなり出世しているようです。そういう目標の持ち方ももちろんあると思いますが、多くの人は「やりがい」にも重点を置いているのではないでしょうか。
私はBtoCの業界でずっと働いてきて、お客様に喜んでもらえるというのが一番のやりがいです。ビジネス視点も持っていないと会社のためにならないので、この商品をやめてしまうと悲しく思う人がいるということが分かっていても止めざるをえなかったり、心苦しいときも多々ありますが。
何が自分の仕事のやりがいか、同僚たちと話したことがあるのですが、自分の立てた販売計画がうまくはまったとき、とか、満足できるクオリティのプロモーション案が作れたとき、とか、部下が成長したのを実感したとき、とか、意外と千差万別でした。
昔、先輩に「人間関係、給料、やりがいのどれか1つでも満足していたら安易に辞めるべきではない」と言われたことがあります。それも真実だと思います。
今まで書いてきたことに反するかもしれませんが、それでも、先が見えていなくても、自分の直感だけに従って転職するというのもまたありだとも思います。
今が安泰だったとしても、今後どうなるかは誰にも分からない世界。人生一度きりだとすると、後で失敗したとしても、そんな思い切りをしてみるのも貴重な経験になると言えるのではないでしょうか。長い目で見たキャリアプランがあれば、一時的に道に迷っても明かりは常に前に見えているはずです。
偉そうなことを書いてはいますが、私自身も迷いながら前進している状態です。そんな日々でも、自分のキャリアプランに立ち返ることが出来るのは非常に心強い。
正解がないだけに、自分をどれだけ信じられるかというのが転職に際しての最重要ポイントなのかもしれません。
保護猫シェルターから転職?してきました
朝時間
お仕事やライフスタイルの関係で難しい人もいるとは思いますが、朝の時間をどう過ごすかは一日のモチベーションに大きく影響しますよね。
日々の積み重ね=人生だとすると、朝時間の過ごし方は人生の満足感にも繋がるのではないでしょうか。
モーニングルーティン流行りで色んな人の素敵な朝の過ごし方が紹介されている昨今。人によって自分に合った過ごし方があるとは思いますが、例えば私はこんな風に過ごすことで一日の満足感を高められている気がします。
◆起床◆
外出する時間の2〜2時間半前に起きます。
猫先生に追い立てられてリビングに行き、猫ご飯などのお世話。
◆朝食◆
食が人生の楽しみの上位にある私は、朝食が楽しみだと、前日夜更かししても難なく起きられます。朝食を食べる習慣のある人限定ですが、起きるのが辛いときの工夫として有効かと。
買っておいた美味しいパン屋さんのパンとか、前日に冷蔵庫に入れておいたドライフルーツのヨーグルトがけとか、前日の準備でほぼ終わらせておくと朝の楽しみ度アップ。
カロリー的に凄そうなので特別な時限定で、ピカールのクロワッサンも冷凍庫に常備しています。美味しいです…
◆プチ運動◆
運動というのはおこがましいですが、まず逆立ち10秒。逆立つ(正しい言い方じゃなさそうですが)瞬間にほんの少し気合いが入るのでやる気スイッチが入るようで、その後の動きが変わります。
そして安定感のあるクッションの上でジャンピングをします。ただひたすら飛び跳ねる行為を50回を4セット、2分くらいで完了。意外と脚にきます。ジャンプしていると猫先生がまとわりついてくるので注意。
◆帰ってきたときに気分を楽にするちょっとした家事◆
食洗機に食器を入れてスイッチを押すだけですが。あとは散らかっているものがあればまとめておくだけです。疲れて帰ってきたときの気分がかなり違います。
◆身支度◆
おしゃれさんはその日の気分で身につけるものをパッと決めるのだと思いますが、私にはそんな閃きは無いので、翌日の気候を確認の上、前日に何を着るか、靴やアクセサリー含めて決めておきます。朝に頭を使わないで済むので気楽です。
◆瞑想◆
外国の、毎年ハーバードなどの世界的に有名な大学に進学する生徒を何人も輩出しているとある進学校では、登校したらまずやるのが瞑想だと何かで見ました。
私は小学生時代、毎朝座禅をする両親に無理矢理一緒に座禅させられ、嫌でたまらなかったのですが、その後学校ですごく集中力が出ているのは子供ながら実感してました。脚の成長期だったからか、座禅していると脚がムズムズしてしまい気持ち悪かったので親に懇願してやめさせてもらいましたが、続けてたら徳の高い人物になれてたのかしら…
そんな経験から、毎朝5分だけ、座禅は組みませんがじっと瞑想の時間をとります。ここでも猫先生が邪魔しにくるので邪念との戦いです。
振り返ると、私が朝時間にしていることは、まず活動前に気持ちを整えること、そして一日を過ごして疲れるであろう自分へのちょっとしたケアということみたいです。
資格の勉強などの将来の自分のための時間も朝作るようにしています。夜とは頭の冴えが全然違います。
朝、今日はどんな日にしたいかという日記を書く人もいますよね。
人によりやることは違えど、朝のルーティンが気持ちよくクリアされていれば、自動的にQOLは上がるのだと思います。
以前新型コロナの外出自粛でテレワークをしていた時は、通勤時間(片道1時間半)分を近くの海まで散歩していました。
週末見る景色とは全く違って時間がゆっくり流れていて、私、いいところに住んでるんだな…と改めて知ることができました。
今は完全にオフィスまで通勤の日々に戻りましたが、あの時期にそんな風に「気付いてしまった」人も多いのではないでしょうか。できる業種の会社はテレワークを実施しないと、気付いてしまった社員達の退職が相次いでしまうかもしれません。
気持ちを整えるのに効果的だとすると、以前書いた「丁寧な暮らし道」を実践するのにも、朝時間は大切にする必要がありそう。
hachiwarecatkun.hatenablog.com
丁寧に暮らしている人は朝が早い印象がありますよね。
でも、どうしても起きられない!ということもあると思います。そんな場合は無理矢理ですが、前日にランチの時間を遅くするかたくさん食べて夜を抜き、早寝する。そして朝早く起きるところから始めるとやりやすい気がします。
こうしたほんの少しの頑張りが気持ちを引き締めてくれて、生活に良い効果があることは確実だと思いますが、やれるときとやれないとき、もちろん両方あって大丈夫。無理すると嫌になるから程よく取り入れ続けたいと思います。
あさごはんまだ?
嫌な人・苦手な人
不思議なことに、何度環境が変わっても必ず身近にいますよね、苦手な人や嫌な人。